いざ、客家土楼へ
2004年 12月 31日
(12月30日~1月3日のアモイ旅行記②)
今回の旅のテーマはアモイ&土楼。土楼とは客家土楼という、客家という人たちが住む家のこと。円形になっている円楼が有名です。
【客家土楼】
その昔、北の華北地方に住んでいた漢民族の一部は、遊牧民の侵略や争乱を逃れて、この南の地へ移動をしてきたと言われている。
客家人(漢民族)と先住民族との間には争いがおき、客家人は一族単位で土楼と呼ぶ要塞型の集合住宅をつくり、そこで生活をしてきた。
客家の人は教育熱心で、客家出身では台湾の李登輝や中国の鄧小平が有名。
朝、アモイの長距離バスターミナルを出発、途中、龍岩という町でミニバスに乗り換えてガンガン揺られること合計約5時間。永定という町に到着。
バスを降りたところにある宿に泊まることにして、さて、どうしようか・・・と思っていたら、
宿の主人から「日本人が5人いるから、一緒に車をシェアして土楼郡を見に行かないか」といわれる。車をチャーターすると400元、それを7人でシェアできるので、あっさり了解。
この大晦日にこんなところに来ている日本人とは、みなさん中国でお仕事したり留学したりしている人たちでした。(日本からわざわざ来てるのなんて私たちぐらいか)
バンにぎゅうぎゅうづめに乗り込み、山道を1時間ほど行くと、初渓土楼郡に到着する。
ここには、円形や方形の土楼が集まっていて、うちひとつの円形の土楼は中が博物館になっているけど、まだ人々が生活している土楼もある。 生活してるところに観光客がきたらたまったもんじゃないよねーと思いながらもお邪魔。
土楼は1階が厨房、2階が倉庫、3・4階が住居だそうで、1階にはアヒルや豚がうろうろ歩いている。
たっぷり土楼を見学して宿に戻ると、主人が「今日は十年に一度の土楼祭りだから、
夜、土楼に連れて行ってやる」と。10年に1度は言いすぎでは?ていうか何やるの?
と疑問を抱きつつも、夕食後にぞろぞろみんなで近くの土楼に見に行く。
人はたくさんいるけど回りは暗いし出店が出ているわけでも華やかなわけでもない。
ひとつの円楼がライトアップされているだけ。これまた中国お得意のミドリライトアップ。
どうやら土楼の中でオーケストラが記念コンサートみたいなものをやっている模様で、
周りには「福建電視台」なんて書いた中継車が。外に置いたスクリーン(ていうか布)に中の模様を写してるけど、とにかく寒いしそんなもの見てられない。
あっさり切り上げて宿に戻ってきました。
でも、周りに何もないだけに、星が本当にきれいだった!降ってきそうで、細かい星が多すぎて星座が確認できないぐらい!!
宿に戻って、大晦日だということに気づくものの、年越しの時間までもう何もすることがない。
外にはお店もないし、真っ暗だし、何より寒いし。
仕方ないので8人で旅館の1階でお茶を飲んですごす。が、なかなか時間が経過せず。
そして寒い。結局、日本時間に合わせることにして、11時にお茶で乾杯。
(↑泊まってた宿)
はー、年も明けたよ、と思って部屋に戻ると、停電。きました、中国。停電。
もちろん暖房も止まり、ろうそくを立てた部屋で震える。もってきた服を全部着て、
ジャケットのファー付きフードをかぶり、ズボンはジーンズの上にパジャマ用のジャージという異様な姿で就寝。おそらくこの頃中国時間で年明けになったと思われる。
もちろんお湯も出ないので、お風呂はいってません。つーか顔も洗ってません。
しかし、寒さに震えて朝起きてから、窓が開いていたことに気づく。バカ。バカすぎる。
そんな迂闊な私の2005年に幸あれ。
今回の旅のテーマはアモイ&土楼。土楼とは客家土楼という、客家という人たちが住む家のこと。円形になっている円楼が有名です。
【客家土楼】
その昔、北の華北地方に住んでいた漢民族の一部は、遊牧民の侵略や争乱を逃れて、この南の地へ移動をしてきたと言われている。
客家人(漢民族)と先住民族との間には争いがおき、客家人は一族単位で土楼と呼ぶ要塞型の集合住宅をつくり、そこで生活をしてきた。
客家の人は教育熱心で、客家出身では台湾の李登輝や中国の鄧小平が有名。
朝、アモイの長距離バスターミナルを出発、途中、龍岩という町でミニバスに乗り換えてガンガン揺られること合計約5時間。永定という町に到着。
バスを降りたところにある宿に泊まることにして、さて、どうしようか・・・と思っていたら、
宿の主人から「日本人が5人いるから、一緒に車をシェアして土楼郡を見に行かないか」といわれる。車をチャーターすると400元、それを7人でシェアできるので、あっさり了解。
この大晦日にこんなところに来ている日本人とは、みなさん中国でお仕事したり留学したりしている人たちでした。(日本からわざわざ来てるのなんて私たちぐらいか)
ここには、円形や方形の土楼が集まっていて、うちひとつの円形の土楼は中が博物館になっているけど、まだ人々が生活している土楼もある。
土楼は1階が厨房、2階が倉庫、3・4階が住居だそうで、1階にはアヒルや豚がうろうろ歩いている。
夜、土楼に連れて行ってやる」と。10年に1度は言いすぎでは?ていうか何やるの?
と疑問を抱きつつも、夕食後にぞろぞろみんなで近くの土楼に見に行く。
人はたくさんいるけど回りは暗いし出店が出ているわけでも華やかなわけでもない。
ひとつの円楼がライトアップされているだけ。これまた中国お得意のミドリライトアップ。
どうやら土楼の中でオーケストラが記念コンサートみたいなものをやっている模様で、
周りには「福建電視台」なんて書いた中継車が。外に置いたスクリーン(ていうか布)に中の模様を写してるけど、とにかく寒いしそんなもの見てられない。
あっさり切り上げて宿に戻ってきました。
でも、周りに何もないだけに、星が本当にきれいだった!降ってきそうで、細かい星が多すぎて星座が確認できないぐらい!!
宿に戻って、大晦日だということに気づくものの、年越しの時間までもう何もすることがない。
外にはお店もないし、真っ暗だし、何より寒いし。
仕方ないので8人で旅館の1階でお茶を飲んですごす。が、なかなか時間が経過せず。
そして寒い。結局、日本時間に合わせることにして、11時にお茶で乾杯。
(↑泊まってた宿)
はー、年も明けたよ、と思って部屋に戻ると、停電。きました、中国。停電。
もちろん暖房も止まり、ろうそくを立てた部屋で震える。もってきた服を全部着て、
ジャケットのファー付きフードをかぶり、ズボンはジーンズの上にパジャマ用のジャージという異様な姿で就寝。おそらくこの頃中国時間で年明けになったと思われる。
もちろんお湯も出ないので、お風呂はいってません。つーか顔も洗ってません。
しかし、寒さに震えて朝起きてから、窓が開いていたことに気づく。バカ。バカすぎる。
そんな迂闊な私の2005年に幸あれ。
by hop-hop-hop
| 2004-12-31 00:00
| 中国アモイの旅